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電脳空間におけるアイデンティティ表現

created: 2020-09-15

頭が痛くて何もする気が起こらず、気を紛らわすため twitter を巡回していたら、この記事を見つけた。この記事における事実関係についてぼくは知らないので、立ち入るつもりはないが、改めて SNS を自分の日常と連結することのリスクを認識した。

昔はぼくも twitter をやっていたが、感情に任せたツイートを投げて人に迷惑をかけたこともあり、過去のトークは全て削除した。現在、そのアカウントは、柿ピーに入っているピーナッツの数や、鳩が 10 秒間に首を前後させる回数など、ごくまれに身の回りのものの数を数えてツイートするアカウントに落ち着いている。

今、twitter 自体が大して好きじゃなくなった。というか、元々好きなタイミングがあったかどうかも怪しい。 ちょっと集中できないときとか、何もする気がしないときに、好きな人のツイートをザッピングすることもあるが、本当はこの人たちのブログや note が読みたいな、もっと頻繁に更新してくれないかなーと思っている。

サッチャーの晩年を描いたThe Iron Ladyという映画がで出てきた言葉は、非常に共感することがあって、今でもよく思い出す。

"Do you know, one of the greatest problems of our age is that we are governed by people who care more about feelings than they do about thoughts and ideas? Now, thoughts and ideas, that interests me."

もちろん feeling が重要でないとは全く思っておらず、論理的思考という言葉を振りかざして感情を無視する態度は嫌いだけれども、しかしぼくは feeling が練り上げられ、thoughts や ideas や expression に昇華されたものが大好きだし、それを練り上げるために日々苦闘する人々のことも大いに尊敬している。だからこそ、彼ら彼女らが twitter の感情の渦に巻き込まれて、中傷・批判合戦に終始しているのをみると、げんなりしてしまう。それらはぼくの twitter 離れを加速する。

はてブや note を使わず、わざわざ自分でブログをホストしているのも、いいねの数やコメントに心を惑わされない、他者の感情や主張や共感から距離を置いた場所に自分の城を築きたいというのがある。誰かに読んでもらってアイデアを磨きたいときは、自分のブログ記事を Qiita や Medium に転載して揉んでもらえばいい。

まとめ

自分は感情そのもののよりも、それが何らかの表現に昇華されたものが好きで、だからこそ twitter よりもブログが好きなんだと再認識した。人は主に感情で繋がる生き物なので、どうしてもブログは SNS に負けがちだけど、少なくとも自分は、SNS に浮気せず、ブログをコツコツと書き続けていきたいと思う。